プロフィール - 結局、音楽が好き -
今日は、第一回目の記事ということで、プロフィールを書こうと思う。
プロフィールといっても、一音楽好きとして、
どんな音楽人生を歩んできたのか、振り返ってみようと思う。
とんでもなく長いので、時間のあるときに、興味があれば見てほしい。
1.幼少期〜小学生
母親がフォークギターを弾いていた影響で、音楽に興味を持つようになる。
母が好きだったのは、ビートルズや長渕剛、チューリップなどだった。
車の中では、父が好きな山口百恵の曲が流れていた。
1980年代後期〜90年代、テレビで長渕剛が映ると、それに合わせて、買ってもらったハーモニカをテレビの前で吹きまくる子供だった。
幼いながらに、長渕剛が吹いていたのは、ハーモニカではなく、ブルースハープだということが分かったが、クリスマスプレゼントにもらったハーモニカを吹いていてた。
やがて小学生高学年(たしか、小学3〜4年頃)、かの有名なN堀ギター教室に通うことになる。習い事の一貫として、通うことになったが、そこで習ったのは、クラッシックギターであった。
これも母の影響で、当時母もギター教室に通い、後に専門学校に通うほどであった。
週に1回、弟と習いにいっていたが、それほど上達した記憶はない。
かんたんな譜面が読めて、ゆっくりの指弾きができる程度だ。
ギター教室には、合奏団なるものがあり、大人20〜30人+子供4人ほどの編成で、演奏会に出る機会があった。
10才かそれくらいで、みなとみらいホールの小だったか、それなりの会場で
オー・シャンゼリゼ
を演奏したことを覚えている。
高校生ぐらいの人もいて、エレキギターを習いに来ている人もいたが、やたら速弾きができて、エレキはこんなに速く弾けるのか、と驚いた覚えがある。
他には、学校で特技を発表する、みたいな授業があり、当時30万円ぐらいのギターを持っていて、演奏したが、あまり良い反応ではなかった。
2.中学時代
小学校時代、相当学校生活がつらかったこともあり、親も色々考慮した結果だと思うが、小学校卒業を期に転校する。
とにかく、小学校時代いじめられっ子だったので、運動部で鍛えたほうが良いと思い、サッカー部に入部する。小学校時代、強いサッカークラブに入って、即やめたのにだ。
もともと球技は得意でなかったので、サッカーはあまり上達しなかった。
その代わり、走ったり、泳いだりすることは得意だったので、持久力だけはついた。
部活が忙しく、ギターを弾くことはなくなっていたが、当時は最新のJ-POPをラジオで聴いて、気に入ったシングルをTSUTAYAでレンタルして、MDで聴きまくるという生活だった。
なぜ、そんなことになったかというと、小学校時代はクラシックギターしか知らなかったため、流行りの歌や、曲を知らず、謎の劣等感があったからだ。
中学校時代は、ある意味劣等感との戦いだったように思う。
そんな折、部内のメンバーの何人かがアコースティックギターを弾くようになり、
自分もあらためてギターを弾いてみようかという気になる。
中学校2年頃だった思うが、はじめてエレキギターを買ってもらった。
それがIbanezのRGシリーズだった。
真紅のボディに、鏡になっているピックガード。今探してもあんなデザインのギターは見つからない。
当時は、Fenderのストラトやテレキャス、Gibsonのレスポールよりも
Ibanezのシェイプに惹かれたのだ。
おそらく、当時活躍していたGLAYやB'zなどのバンドの影響だと思う。
振り返ってみれば、Steve Vaiが活躍していた頃と重なって、Ibanezの勢いもあったのだと思う。
当時はフロイドローズやロックナットのことなど知るわけもなく、
ただひたすらに弾きづらいギターであった。ビジュアルはかっこよかったが、とにかくチューニングが面倒で、結局ほとんど弾かなかった。
代わりに弾いたのが、YAMAHAのアコギだった。たしかFGシリーズの黒いモデルだった。家限定だったが、ゆずの曲を片っ端から、インターネットで調べて、曲に合わせてコードを弾いたり、歌うということをしていた。
それが中3の終わりの方だと思う。
小学校時代、クラシックギターで指を広げるフォームが多かったからか、
アコースティックギターのフォームはそれほど苦ではなかったように思う。
もちろん、Fコードは最初は鳴らなかった。
3.高校時代
高校時代は、軽音楽部に入った。
サッカーを続けるつもりだったが、(苦手なものは無理して続けないほうがよい)
新入生歓迎のイベントで、上級生のバンド演奏に一発ノックアウトされてしまう。
バンドって、こんなに格好良いのか、と衝撃を受け、
部活の見学に行き、そのまま入部。
中学からサッカーを続けると話していた友人には驚きだったと思うが、
とにかく軽音楽部に入部した。
しかし、とにかく勢いだけで入部してしまったので、やりたいことや、どんなバンドがやりたいか定まっていない。
そうこうしている内に、もともと、一緒に固まっていたグループ同士バンドが組み上がっていき、結果的に余り者同士が集まった男女混合バンドができあがった。
これが初めてのバンドである。
途中、高校生ならでは、色々経験し、バンドメンバーの変更などもありながら、
3年間を過ごす。当時、YAMAHA主催のTEEN'S MUSIC FESTIVALというバンドコンテストのようなものがあり、楽器店大会で、奨励賞をもらったりした。
振り返ってみると、特に上手いというわけではなかったが、
バンドや、音楽に対するエネルギーという意味でいうと、17〜18歳の頃が一番あったのだと思う。この頃弾いていたギターはGrecoのレスポールタイプ。
軽音楽部の先生から安く譲ってもらった。めちゃ重かったが、良い音だった。
4.大学時代
高校時代、バンドにのめり込むあまり、勉強を全くしなくなり、
偏差値は測定不能〜30まで落ち込んでいた。
当然のごとく、大学には受からず、浪人することに。
音楽は好きだったが、プロとしてやっていけるほど自分に才能があるとは思えなかった。専門学校も見学に行ったりしたが、あきらかに異次元な才能の集まりで、
これは無理だと思った。
かといって、他にやりたいこともない。
そんな理由で、消去法的に大学進学を目指すことになる。
学力がないのに、妙にプライドだけは高く、やるならば、本当に行きたいところに行く。ということで某W大学を目指すことになる。
しかし、普通に無理である。
奇跡的に学力を伸ばす人もいるかもしれないが、基礎学力もなく、
勉強の習慣もない。そんな中、自宅浪人を選んだので、まったくうまくいかない。
浪人2年目にして、結局予備校にも通わせてもらい、なんとか中堅大学に入学する。
音楽面では、大学入学と同時にサークルを見学するが、
自分の思い描く熱量ではなく、他大学のサークルに加入する。
いわゆるコピーバンドサークルだったが、技術面で優れたプレイヤーが多く、在学時から
仕事をする人もいるようなところだった。
しかし、またもレベルを上げすぎである。
結局ついていけなくなり、徐々にドロップアウト、自身でSNSで集めたメンバーと、
高校からの同級生、大学で出会った友人とバンドを結成する。
これは非常に楽しかったが、自分が2浪したこともあり、
メンバーのスケジュールが徐々に合わなくなる。
結局、活動休止になり、そのまま今に至る。
この頃は、色々精力的にあっちこっちに顔を出していた。
今でも多大な影響を受けているJohn Mayerのルーツをたどるうち、ブルースやブラックミュージックにハマり、
ブルースBarにセッションに行ったり(全然弾けないが行っていた)
楽器に関しては、色々買い替えていた。
G&Lのストラトタイプを使っていたが、Vanzandtのテレキャスタータイプに買い替えたり、(今はどちらも手放した)
Fender Blues Jrのツイードタイプを買ってみたり、(当時住んでいた部屋には大きすぎてすぐ手放した)
John Mayerつながりで、トモ藤田さんのライブを見に行ったり、単発レッスンを受けたりもした。
自分の世界を広げた、という意味では良い期間であった。
その後、さすがに学業もやらなくてはということで
大学3年以降はゼミナールの活動が主体となる。
5.会社員、フリーター時代(2012〜2016)
大学卒業後、多くの人がそうであるように、なんとなく会社員となる。
会社員になりたかったわけではない。
結局、大学に行ったものの、何か本当にやりたいことが見つかるわけでもなく、
かといって、現実的に働かなければやっていけない。
またも消去法的に、もう大学を卒業するから、という理由で
就職活動をすることになった。
しかし、やはりなんとなくだ。
なんとなくの会社にしか入れない。
父が自宅で良くDIYやリフォームをしていて、身近だったという理由だけで
リフォーム会社の営業マンとなる。
もともと、飲食店のアルバイトをやったり、バンド活動のおかげか、人前に出ることは苦ではなくなっていたので、営業成績は好調だったが、
結局は、やりたいことではない。
さまざまな要因が重なり、2年で1社目を退職、2社目も1年半で退社、
その後2017年4月までフリーターとなる。
紆余曲折ありあがらも、交際7年にして
パートナーと結婚することになり、結婚式でバンド演奏をする。
この時、ギターは数年間のブランクがあり、この結婚式のために
集中的にレッスンに通った。
人の力を借りて、このレベルだ。
アドリブも、事前にある程度練ったものプレイしているので、アドリブという感じではない。というか、もともと弾けないのだ。
なんとか、頑張ったというところだ。
他には、2016年5月からドラムを始めた。
理由は、「なんとなく」だった。
きっかけはこの動画
人生にも疲れて、この先の人生どうなるのか、と思っていた時期に
何か新しいことを始めたかったのかもしれない。
良い先生との出会いは重要だった。
先程の結婚式で短いがドラムも演奏した。
ドラムは、ギターや他の楽器と違い、音階がない。(チューニングはあるが)
基本的には叩けばよい。
それが良かった。
一度弦楽器からは離れて、ギターはほとんど弾かなくなった。
一時期は、ほんとに家にあるだけだった。
そんなこんなで現在に至る。(2021年8月)
ドラムを始めて、約5年
月に1回レッスンを受け続けて、ここまでになった。
正直、自分の頭で鳴っている音のイメージ、体の動きとは随分離れているが、
現状こうなのだから、仕方がない。
しかし、5年続けて、何かが変わったのだろう。
YouTubeをはじめとするインターネット環境が整ってきたことも大きい。
最近、またギターを弾き始めた。
今後は、昔のように弾き語りをしてみたり、曲を作ったりもしてみたい。
アドリブもできるようになりたいし、ベースも上手くなりたい。
欲張りだが、仕方がない。
結局、我慢しないほうがよい。
抑えたって抑えきれるわけがない。
手放したって、また戻ってくる。
さまざまな経験をする中で、結局音楽が好きなのだと気づく。