残り時間。何者でもないもの。
2022年7月21日 明朝。フジゲンのベースを弾く夢を見て、目覚めた朝。
この世に生を受けて35年と1日。ブログを書く。
普段誕生日だから、どうということもなく、本当に大切な人のことを祝えればそれで良いという日だ。
ただ、今年はある程度節目の年なので、思っていることを書いてみる。
35歳。不思議な年だ。若者でもなければ、年老いたという年でもない。
しかし、大人だ。
子供の頃、あんなふうになりたい、こんな風になりたいと夢を見ただろうか。
自分は、漠然と大工さん、料理人、ギターの先生、焼き芋屋さんになりたい。
なんて思っていた子供だった。
それが本心かどうかはわからないし、身近にある職業の中から、なんとなく好きなものを言っていただけのようにも思う。
本気でサッカー選手になりたいとか、野球選手になりたい、という人はいつだって稀だ っただろう。
しかし、中には本気の人がいて、イチロー選手や、ミュージシャンでも、なんの職業のトッププロでも、小学生の頃には、「私はプロになると決めていた」と後に語る人は多くいる。
30代といえば、どの職業でも中堅と呼ばれるくらいになってきて、役職がついたり、
給料が上がったり、幼き頃より、他のことには目もくれず、自らの道を探求してきた者は成功していたり、そういう年代だ。
しかし、そうでないものもいる。自分はまさにそうだ。
上記の何にも当てはまらず、あえていうなら何でもないもの。だ。
飯を食い、働き、寝て、ギターを弾き、ドラムを叩く。ただそれだけの者。
それを10代や20代から続けてきた者でもなく、
こっちの道か、あっちの道かと彷徨い、時に打ちのめされながら、それでも生きている者である。
そんな人生あっという間の35歳。どちらかといえば、残り時間を考える。
人生は常に有限である、ということは誰もがわかっていることだが、
35というのはリアルな数字で。
心も体も元気だが、年齢を重ねていることが徐々に感じられる年でもある。
そうなると、身体能力の維持、向上はある程度はできても、基本的に老化である。
心の若さはどれだけ保てるのかは、見当もつかないが、自分次第だと思う。
周囲の人間や、偉大な存在を見ていても、65歳ぐらいまでがピークのように思う。
それ以降は緩やかに下降していくのではないか。
この長寿の時代だから、そんなことが言えるのであって、昔はそんな基準ではなかったと思うが。
そう考えると、何か事を成すために残された時間はとても少ない。
リミットは30年だとしても、50までに積み上げてきた実績や経験がなければ、その後はやはり厳しい。
本来は、今の時点で経験、実績があって、何らかのプロでなければならないのだが、
そうはならなかった。
いまだ何者でもないものである。
しかし、何者でもないながらに、わかったこともあり、
それは、何ができて、何ができないか。
できることは、表現。
文章を書くこと、楽器を奏でること、時に歌うこと。
できないことは、計画。
いつまでに何をどうして、そのためにこうして、ああして。
無理である。
厳密には、短期ではできても、長期で頭で考えたことが実現することはほぼない。
ホリエモンが、長期計画なんて関係ないですよ。今を一生懸命生きろ、と言ったのは共感しかない。
堀江貴文のスピーチ「情報を集めて行動せよ」@近畿大学 - YouTube
まして、35歳の今、さらに長期計画は意味を成さないように思う、
計画ではなく、目的を定めることに注力すべきだ。
なんのためにやるのか。
すべてが目的ありきではないが、一体なんのためにやるのかを考えることが非常に意味がある。
自分の目的は、喜びである。
金のためでではない。
お金がなければ生きていけないし、好きな楽器も買えないが、
金を稼ぐために楽器を弾くわけではない。
自分が好きなことで、人に喜んでもらえて、お金までいただけたら、これ以上のことはないが、それは結果論。
金を目的に、動いて、喜ばれることなどない。
一時稼げたとしてもそれは、一時のこと。
それはもうわかった。
それがわかっただけでも、まずは良い。
これからは、結果がどうなるかはさておき、ただ喜びのためにやろうと思う。
それはギターを弾くのも、仕事をするのも、何をするにしても。
何かをするというのは、常に困難を伴うものだが、そこに目的があれば乗り越えられる。
ギターなら、上達するのにとても時間がかかり、うまくいかない状態が続くが、
それでも続けていれば、後に上達して喜びがある。
仕事でも、常にうまくいくわけではないが、失敗から学び、やはり上達する。
そして喜ばれる。
というわけで、やはり思っていた通りだが、「喜び」のために、生きる。
そういう人生にしようと、思う。